Shinone Apple Farm in okhotsk , Hokkaido

オホーツクの未来にりんご栽培を引き継ぎたい
希少品種”旭”を主力として消費者参加型経営を目指す果樹園です

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消滅寸前!オホーツクのりんご栽培

消えゆく北限のりんご、そして復活にかける決意

北海道地図 ようこそ! ” しのねアップルファーム ”のホームページへ!私は園主の篠根克典です。
これから北海道の厳寒地域オホーツクでのりんご栽培の歴史と、私が人生をかけて取り組んでおります「リンゴ産地復活への取り組み」についてご報告させて頂きます。
北海道オホーツクでは、明治末期から上湧別地区でりんご栽培が始まり、その後オホーツク各地に拡がり40~50年前までは「北限のりんご」と呼ばれる一大産地でした。しかしその後、病害虫の発生、価格の低迷、産地間競争と高齢化によってりんご農家が激減。現在では北見市に僅か残るのみで、この地域でりんごが栽培されていた事実さえもすっかり忘れ去られてしまいました。オホーツクから完全にりんご栽培が消えてしまうのも時間の問題です。りんごの木は成長するのに長い時間がかかります。しかもりんご栽培はノウハウの塊で、経験者がいなくなると復活させるのは簡単ではありません。

100年以上の昔から大変な苦労をしてオホーツクのりんご栽培に携わってきた先輩たちの夢が消えようとしている。りんご農家に生まれ神奈川県で働いていた私は、大きな責任を感じました。先輩たちや、りんごを楽しみに待っているお客様から責められているような気がしました。「それならば故郷に帰って、残りの人生をりんご作りにかけよう」と2010年に決心をいたしました。

厳しいりんご農家の現実

園主:篠根克典 それから9年が過ぎ、りんごの世界がだんだん分かってきました。日本のりんご作りは殆どが手作業、工業界で例えると家内制手工業です。伝統工芸品を作る職人に近い世界です。伝統工芸品は高価なのが当たり前ですが、同じように手間と時間をかけて作ったりんごは小売店で大量生産品のような安価で販売されています。安価で販売するのであれば、米国のりんご栽培のようにコストの安い大量生産方式で作らなければいけません。(大量生産方式には多大な設備投資が必要なのが問題点です)手間をかけたものを安く売るという矛盾と負担を、日本ではりんご農家に押し付けています。そのため、日本全体でりんご農家はどんどん減り続けています。オホーツク地域は寒冷地なので収穫量が低く収入面で厳いため、特に急激に数が減っていったのです。しかし程度の差はあれ、他の地域でも同様の状況です。日本一のリンゴ産地青森県でも減り続けているんです。近い将来、国産りんごは入手困難な希少品になるかも知れませんね。そうなれば、国産りんご一個千円や二千円で売れるようになり、りんご農家の収入問題は解決するでしょうね。そして小売店には外国産の安価なりんごが並んでいることでしょう。

もし消費者の皆様が、国産のりんごが滅びて海外の安価なりんごを希望されるのであれば、私も含めて日本のりんご農家の仕事は無くなります。りんご栽培は明治期に日本に導入されたものですし、もちろん海外産でも問題ありません。また、食べなくても死ぬことはありません。そのためか畑作物や水田と違って、所得補償制度はありません。農業経営基盤強化準備金などの国の優遇策もありません。「自分は望まれていないものを一生懸命作っているのだろうか?」と本当に気分が落ち込むときがあります。しかし、秋に実るりんごを楽しみに来て下さるお客様の顔を思い浮かべて、「そんな事は無い、もうひと頑張りしよう」と自分に言い聞かせます。

オホーツクの地に、子孫たちに、りんご栽培を残したい

昔は農家の立場は弱く、農産物を流通する側が強く、自分が生産した農産物に値段を付けることが出来ないのが普通でした。しかし時代は変わり、今では農園の直売所には多くのお客様が訪れ、また、インターネットを使えば全国各地にりんごを届けることが出来ます。このオホーツクの地に、りんごが赤や黄色に実る美しい風景、新鮮な果実を収穫し味わう感動、これらを次の世代、更にその次の世代にも残していきたい。その思いで、私はオホーツク・オーチャード株式会社を立ち上げました。

りんご農家の問題点

収益率の低さ
根本的な問題は、必要な労働力が多すぎて、それに見合った収入が得られないということです。りんご栽培では殆どの作業が機械化できません。いまだに手作業に頼っています。これを自動化できるほど技術は進歩していません。
人手不足
労働力もあれば良いわけではありません。りんご農家には熟練した職人が必要です。
りんごの木が育つのに時間がかかること
りんごの苗木は戦力になるのに、植えてから10年かかります。しかも、25年目くらいから弱ってきて、30年くらいで寿命を迎えます。
価格の問題、販売、マーケティングの問題
手間暇かけた職人の作ったものが量産品と同じような値段で取引される、このりんご業界の構造的な問題をどうしたら解決できるのでしょうか?マンゴーのようにりんご一個が2000円や3000円で売れれば良いのですが、あまり実現しそうな話ではありません。他に、若い人ほど果物を食べないこと、お客様1人当たりの購入単位が小さくなって販売経費が増えていること、挙げると切りがありませんが、細かい問題が山積みです。

解決方法はあるのか?

本当に、どうすれば良いのでしょう?ずっと悩んでいますが、なかなか画期的なアイディアは思いつきません。
今考えているのは、大きく次の2点です。

加工品への展開
りんごを生で売るだけでは殆ど利益は出ません。そこで政府も推奨しているジャムなど加工品への展開です。農閑期に加工品を作って売りましょう、ということですが、りんご農家には農閑期がありません。冬には重要な剪定作業があります。農家の6次産業化と呼ばれていますが、意欲と余力のある農家しか取り組めないのが現状です。
消費者参加型の農園経営
消費者の皆さんに労働力を提供して頂いて、りんごでお返ししたり、商品を安くご提供したりする方法です。定期的にメンバーとの会合を開いて、農園の経営状況を共有し、その後の目指す方向性について意見交換の場を設けます。お客様もオホーツクの地にりんご栽培を存続させる、という目標を共有する仲間として参加して頂きたいのです。
2018年10月 果樹園の画像。オホーツク・オーチャード株式会社 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
2018年10月のある日の果樹園内の風景です

北見の昭和地区に訪れる人の心を穏やかにする果樹のワンダーランドを作りたい

北見市昭和は大正時代から開けた農業地区です。しかし、北見盆地の北側の山に位置し平坦地でないため、畑作はあまり普及しませんでした。そこで先人たちは果樹に着目し、昭和中期にはりんごを中心とした果樹地帯となって行きました。その後どんどん衰退していったのは前に書いた通りです。若い人は農業を継がずに北見市内や大都市圏に出ていきました。高齢化が進んで人が減り、自治会活動の継続も難しくなっています。
限界集落のようになってしまいましたが、昭和地区は北見市から5kmほどの近い距離にあります。
この立地条件を生かせば何かできるはずです。例えば、.....

冬が近い10月終わりころのある日のこと、北海道を旅していたAは北見の町はずれに迷い込んだ。木々が生い茂った細い砂利道を自動車で登っていくと、急に視界が開けた。赤い実が太陽に照らされて輝いて見える。平坦ではない斜面におびただしい数のりんごの木々があった。良く見ると、紫色などりんご以外の果物もあるようで、ヨーロッパの森にでも迷い込んだような錯覚を感じる。少し進むと古いログハウス、入り口には無造作にりんごが並んでいる。直ぐ近くには....カフェだろうか、老夫婦、若いカップルなど数組が何か食べながらお茶を飲んで談笑している。北見市内とは全く違う、ゆっくりと落ち着いたた時間の流れを感じる。ここのオーナーらしき1人の老人が微笑みながら声をかけてきた。15haほどの土地に、りんごを中心に数種類の果物を栽培していて、採れた収穫物の販売、自家製の農産加工品の販売、またカフェではアップルパイを食べながらお茶が飲めるらしい。今晩カフェに併設されたミニホールでコンサートがあるからと誘われた。

これは30年後、私の夢の中の世界です。