北見市(旧名:野付牛町)の果樹栽培の歴史

オホーツク管内の他の地域では明治半ばから果樹栽培を試みていたようですが、北見地区(当時は野付牛と呼ばれていた)では少し遅れて、

大正6年に石川岩太郎氏が現在の昭和地区に入植し苗木の生産・販売を開始したのが始まりです。その後、石川氏が果樹の生産も始めたことが北海道果樹百年記念事業の記念誌に記載されています。

大正十二年、石川岩太郎が、札幌市から「倭錦」「紅絞」「緋之衣」などの苗木を購入して、約1.5ヘクタール栽植したのが始まりである。

その後の歩み

昭和6年 野付牛町果樹組合 45名で発足

 腐らん病の多発で果樹園が激減

昭和10年 野付牛町果樹組合 解散

 その後、昭和地区に果樹園が増えてくる

昭和32年 北見市果樹生産組合が結成される りんごの品種は、旭、国光、紅玉など

 北海道果樹協会に参加、北見支部としての役割も担う

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